【応援者コラム】吉田照美さん(看護師)

2014年10月下旬、西アフリカ・シエラレオネでの国境なき医師団(MSF)のエボラ出血熱のプログラムに2回にわたり参加したのち、任期を終えて帰国しました。あまりに疲れていた私に、東京の事務局で人事担当者が問いかけました。
「沖縄の小さな島の病院で仕事をするというのはどう?」 
フランス人の彼女にとって、沖縄と鹿児島の離島が混在していたのはすぐに理解できました。その少し前から、私のように国境なき医師団で活動している看護師を、日本にいる間に受け入れてくれる病院が奄美群島にあると聞いていたからです。途上国での活動の間に日本の医療機関で働くことは、看護技術のスキルアップとしても、また収入面でもプラスになると考え、勧めてくれたのです。以前から沖縄の離島を何度も旅してきたわたしにとって、島で生活することを考えるのはとても自然なことでした。そしてわずかな緊張と期待に心を躍らせながら喜界島に降り立ちました。

国境なき医師団で仕事をする前は訪問看護の仕事をしていたので、日本の病院で働くのは実に8年ぶりでした。初めて対峙する電子カルテと奮闘し、夜勤の厳しさを思い知り、多くの患者さんの対応に追われて気が付けば勤務が終わる、という日々でした。しかし、病棟のベテランスタッフの皆さんの心強く、そして温かいサポートで何度も励ましていただき、業務をこなすことができました。どんなに苛酷で厳しい勤務状況でも、少しでも患者さんに良いケアを、と時間を惜しんで日々の看護に当たっているスタッフの皆さんに、敬意を払わずにはいられません。島外出身者のわたしに、自分の娘や孫のように話しかけてくれる患者さんやご家族の方々に、逆に癒されることも多くありました。
一方で、島民の著しい高齢化で、人手不足によるお年寄りの医療・介護における問題という現実にも直面しました。都会とは明らかに限られた社会資源のなか、病気や障害を持つ方々とそのご家族の生活は、想像するに、簡単ではないことはとてもよく理解できました。そして緊急時には島外搬送をする必要に迫られることもあり、周産期医療や常勤の医師が極めて限定され、特別診療としてでしか診療を受けることができないなど、離島ならではの医療の現実に胸が詰まる思いもしました。数々の現実に圧倒されながらも、2か月半という短い間でしたが、看護チームの一員として、島の人間として温かく迎えてくださって、心から感謝しても言い尽くせないほどでした。近いうちにまたこの病院に戻って、皆さんに恩返しがしたいと考えていました。

そしてその思いは実現し、2016年3月にまた働かせていただけることになりました。この間、長崎大学での熱帯医学の研修の後、国境なき医師団の南スーダンでの任務を終え、それから他のNGOの視察でネパールを訪ねていました。1年間を日本や世界のあちこちで過ごし、定住していない私が再度喜界島を訪ねた瞬間、口に出た言葉は「ただいま!」でした。喜界島が私の第2の故郷だと実感した瞬間でした。(申し遅れましたが私は埼玉県出身です。) 現実にまた、皆さんが温かく迎えてくださったのです。
1年を経て病院はますます忙しくなり、人事も大きく変わっていましたが、皆さんの温かさは変わっていませんでした。患者さんにとって医療チームがどうすればベストなのか、その視点を定めて仕事に当たる姿勢に少しも違いはありません。そして1年ぶりに日本で働く私を、同じように丁寧にフォローアップしてくれました。

今回は去年と少し時期がずれたので、大好物の喜界島のトマトを堪能し、とてもきれいなオオゴマダラ(金色のさなぎと優雅な成虫!)を見ることができました。大自然の歴史を感じさせてくれるガジュマルを眺めたり、ビーチで癒されたり、島の生活自体も前回同様楽しめました。

あっという間に2か月は過ぎ、今回の任期も終了しました。次に海外の仕事へ出ても、世界のどこかで、第2の故郷である喜界島を思い出して胸が温かくなるのは間違いありません。皆さんが「また来てね」と言ってくださり、「また来ますね」と返せるこの第2の故郷に、改めて心から感謝します。

「国境なき医師団」での活動(「国境なき医師団」より提供)
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喜界島での思い出
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2016-06-03 | Posted in 応援者コラムComments Closed 

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